『想像してみて下さい。あの事故が、泊原発で起きたとしたら』。
『チームOKの皆さんの生き方は、私達の未来の姿』。
道民サポーター、モノノケユースケさんの手記です。
避難・被ばくを、自らの身に置き換えて、考えて下さっています。
そして、私たちを「可哀想な避難者」という見方でなく、
避難を決断した勇者として、敬意を持ってつながって下さっています。
私たちが出会う方は、こういうお気持ちの方ばかり。
私たちはしあわせ者です。ありがとうございます!
*****

本日はチームOKの忘年会inみんたるに参加してミニライブをやらせていただきました。
このライブが正真正銘の今年の歌い納めでした(*^^*)
チームOKの忘年会、とても心あたたまる素敵なイベントでした。
チームOKは、原発事故の放射線の自主避難でこちらに来られた方達の団体です。
主に母子避難されて来た方達が多く、メンバーの中心もお母さん達です。
年に沢山のイベントをやっています。
それぞれの3.11の経験を語る3.11語り場をはじめ、保養のイベントや、農業体験やカウンセリング的なワークショップ、学習会、合唱や、子供達を中心とした影絵人形劇、いのちのことりという素晴らしい歌をつくって歌ったり!
チームOK祭、様々な多岐にわたる文化的な活動を通して、放射線の恐ろしさ、命の大切さを伝えてくれてます。
私は、一昨年にその存在を知りイベントなどに参加したりして、今年から道民サポーターとして関わらせていただくようになりました。道民サポーターと言いながら、かえってこちらがチームOKの皆さんに勇気や感動をもらってます。
3.11以降の生き方を身を持って発信している、クリエイティブな皆さんから、私はいろいろなことを学ばせてもらってます。
想像してみて下さい。
あの3.11の原発事故が福島第一原発ではなく、自分の住む場所の一番近い原発だったら。
私は道民なので泊原発、で起きたのだとしたら。
私達はどうしていたでしょう?
どうやって生きたでしょう?
家族と共に逃げたのか?
仕事があるからと残ったのか?
泊より離れた北海道の北にひとまず逃げたのか?
東北や関東、さらに南に逃げたのか?
悲観にくれ孤独になったか?
それでも生きてやる、と
力強く創造的に生きたのか?
独りで?
仲間をつくって?
始めての地に人に戸惑い恐れながら
泊原発が爆発して放射線が怖くて避難してきましたと語ったのか?
国も避難区域に指定しない所から自主避難をして来ました、と言って
避難先の人は受け入れてくれるのか?
北電も国も自主避難者には賠償も保障もしてくれない
生活は成り立つのか
自問は止まらない
それでも
生きてやると
この魂を燃やして
生きていこうと
愛するあなたがいるからと
幼い命があるからと
あなたと共に生きると
この場所でもう一度ふるさとを
創ろうと
決めたのか
チームOKの皆さんの生き方は、私達の未来の姿。
3.11を経た私達がどう生きていくのか、その大きなヒントをくれる存在だと思っています。
多くの人達にこのチームOKの存在を知って欲しい。
そして、何かの機会でも、会って話して関わってもらえたら嬉しいです。
きっと何か響くものが必ず見つかると思います。
今回の忘年会イベントに参加させていただき幸せでした。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
魂燃やして生きていきましょう。
(モノノケユースケ・道民サポーター)




