『311・語り場』宮城県からのマリアさんの巻(中編)

『もしも弱音を吐いたなら』という言葉に、とても気持が救われたというマリアさん(仮名)。その後、スコップ団として活躍した様子をお話ししてくれました。


マリアさんの語り、前編はこちらです

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【Uさんと震災後の交流】

震災前からマリアさんはご主人のお母様と同居していました。
家事と子育て、フルタイムの仕事、親戚の介護と相続の手続き、事業の立ち上げなど。目まぐるしい生活の中で自分より家族を優先させてしまうあまり、心のバランスを崩していました。

「死んでしまいたいと思っていた時期」もあったそうですが、それを救ってくれたのがエッセンシャルオイルでした。そしてエッセンシャルオイルとともにマリアさんを癒してくれたのが、セラピストのUさんでした。Uさんは震災後、札幌と宮城を行き来し、ボランティアで何千本ものアロマスプレーを作って避難所に送る活動をされた方です。
2回目の地震後、マリアさんがUさんにふと、「大丈夫ですか」とメールをしたら、「札幌に行きたいけれど、電車が動かず仙台まで行けない」と返事がきました。

マリアさんはそのとき何かを感じ、義母に怪訝な顔をされながらも、子供たちを義母に預け、彼女の自宅まで迎えに行き仙台まで送りました。
「Uさんは、私の顔を見て何かを感じたのか、『大変なことに、大きいも小さいもない。怖かったね…泣いていいんだよ』とまだ痛む足をさすりながら声をかけてくれました。私はその時初めて声をあげて泣きました。」

そのうえで彼女は「メルトダウンしてるんだからね!宮城だって(フクイチに)近いんだから!」と子どもにマスクをさせることや、「がれきからの感染症もあるから気を付けて」などもマリアさんに教えてくれました。

その頃、宮城県では放射能を気にする人がほとんどおらず、土埃の中子供を走らせ、プールも大丈夫、と誰もマスクもしていなかったのです。
「Uさんは、いつも私の頭にない新鮮な情報を教えてくださいました」

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【マリアさんが参加したボランティア、スコップ団のこと】

8月頃、マリアさんにスコップ団を教えくれたのも、Uさんでした。

『どうせ地球のチリだからな』という人気ブログを書いていた平了(たいらりょう)さんという方が、大切な友達を亡くした怒り・悲しみからはじめた、津波に襲われた家を1軒1軒、片づけて綺麗にしていく活動です。
もともと1日70~100万アクセスのある人気のブロガーで、震災直後は、ガソリン、ドライアイス、ペットフードやペットの保護…今必要なものを自分で判断して届け、困った人を助ける活動をしてました。

いろいろなボランティア組織がありましたが、宮城県の山元町というところは、放射能避難地域に指定されていてボランティアは入れない。でも家族や友達なら入れるので、友達だ、と言って山元町に入って行き、頼まれた家々を泥かきしてきれいにしていきました。
全国いろいろなところから、毎週末50人、70人、と人が集まって活動していました。

スコップ
(2011.9月 スコップ団に参加し始めたときの写真。真ん中にマリアさんの後ろ姿が。スコップ団は2011年4月発足。土日のみの活動でこの時すでに100軒の家屋を片づけていました)

「8月頃、家族が無事で、何もしない自分が申し訳なくて、活動に参加しました。依頼のあった家に行き、泥をかき、ごみを分別して捨て、壁も取り払い、柱だけになったうえで高圧洗浄機をかけてピカピカに仕上げます。
依頼主にとって大事だと思われる品は選り分けて置き、捨てるかどうか見てもらいました。
プリクラや写真、賞状…屋根裏などに紙がたまるんですよね。

天井裏
(天井裏まで浮いてそのまま残っていた、手紙、賞状、プリクラなどの分別をしながら、2階の片づけをしました)

最初は『全部捨てて』と言っていた依頼主も、『あぁ、これがあった…』と。
依頼主のためにと仕事がていねいなので、次々に指輪や位牌、子供のへその緒、写真などを見つける依頼がきていました。それを1軒1軒、片づける。
団長は、家をピカピカにしてもらった依頼主が『ありがとうございました』って深々とお礼を言おうとするのを押しのけるようにして、『帰るぞー』ってさっさと帰るんですね。
団長の平さんは『困っている人を助けるのは当たり前。大変な思いをしてきたのだから、自分たちに頭なんて下げなくていい』と。
家はもはや壊されたり、建て替える、でもその前に一度でもきれいな姿を取り戻してあげたい……いわば『家の死化粧』ですよね。」

ナイスコップ
(泥を全て出し、ケルヒャーでピカピカになったお家の姿)

1軒1万円くらいかかる活動費(水やガソリンなど)は、平了さんデザインのスコップ団オリジナルグッズの売り上げや寄付でまかなっていました。
平さんは『コンビニでたむろしてるような連中が来れるボランティア』にしたいと言っていました。活動において義務、強制、役割分担一切なし。
「来たけりゃ来りゃいいじゃん」と。いついつ山下駅9:00集合―とブログで流し、集合したスコップ団(スコッパーと言います)が、依頼主の家に行ったら、あとは自発的にそれぞれが泥かき、掃除、片づけ、を行いました。

「でも、自分の生まれ育った町、石巻での活動はつらかったです。昔の町を知っているから。」
石巻については言葉少なに語るマリアさんでした。

そうやって4月からずっと活動してきたスコップ団は、次の年の3月10日に、2万発の花火をあげました。
3月11日ではありません。
震災の前の日。亡くなられた方が幸せに暮らした最後の日、3月10日に。
2万発の鎮魂の花火です。

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花火の資金5600万円の寄付を集めようと、マリアさんと夫がマスコミ各社に送った手紙を、ひさ子さんが読んでくれました。そこには、平団長さんの、花火開催にいたった想いを同封してありました。

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避難所から初老の女性を車に乗せて、私たちの倉庫にお連れした時の話です。
「主人とはケンカなんてしたことなかったの。」
「そうなんですか~。仲良しですね。」
「うん。本当の意味でのケンカはありますよ?議論みたいな。ちょっとした。それがなくなったら人はお終いでしょ?」
「はぁ。」
「でも、その日は、本当にくだらないことで意味のない感情上のケンカをしてしまったの。初めて。」
「はぁ。」
「彼は車で、すごいスピードで出て行っちゃって「行ってらっしゃい」も言わなかったし、行ってきますもなかった。そのままぶつかって死んじまえ!って思っちゃったの。」
「・・・。」
「そのまま、あの人は、津波で死んでしまったの。だからね、私の一番の後悔は、食料や水を蓄えておかなかったことじゃないの。懐中電灯もなにもいらない。もし運命で彼が死んでしまう事が避けられないにしても、愛していたって伝えたかったってことなのよ。」
「・・・。」
「あなたは、何でもしてくれる。本当にありがとう。」
「とんでもないです。」
「でもね、モノじゃないのよ?」
「分かります。分かってやってます。俺もそうだ。」
「私の想いを、いつか天国に届ける企画を立ててくれないかしら?」
「分かった。考えます。チカラもつけます。」
「その時は、私は元気だよって彼に伝えたい・・・。」

これが【天国へぶっ放せ】の始まりです。
お墓へのお菓子やお花。
お供えは、合理的に考えれば無駄な事かもしれません。
でも、人間だからやるのです。
感情があるから、そうするのです。

私達もいつか死ぬ。
その時、感情が残っているのであれば、私はお供えは嬉しいと感じるだろう。

今回の花火は、お供えです。
雲が邪魔をしても、雲の上まで飛ばせば花火は見える。
スッと生まれて、ドンとキレイな大輪を咲かせて、散る。
まるで人生のようです。

咲ききることが出来なかった方が大半です。
だから、ドンと咲かせよう。

人生のような花火を、一番感謝すべき日だった3月10日に。

僕はどうしてもあげたい。

ゴールのないマラソンを完走することなんて人はできないから365日経過したら一時休止。
要請が続くようならば、また行こう。
その時は、また【ヘイ!!スコップ団】って呼ぶから、スコップ団のみんなはよろしくね。

結局俺は、たった一人の方の要望に、一つ一つ応えていくことぐらいしか出来なかった。
でも、それでもいいんだ。
そんな一人ひとりが集まって、社会なのだと俺は思うから。

二万人の方が亡くなった震災が一件起きたのではない。
一件の悲しい出来事が、二万件も起きたのだ。

賛同しかねる人がいることも知ってます。
でも、それでいいんだ。
様々な考え方があってこその社会。

それでいいのだと思います。

賛同して頂けたら幸いです。
「元気だぜ。」
って伝えよう。
「愛してたんだぜ。」
って伝えよう。

『どうせ地球のチリだからな』

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2万人の悲しい思いが一回あったのではなく、1件の悲しい思いが2万回あったのです。

当日は、京都のお坊さんと一緒に、焼香しながら無言の花火でした。
1発目の歓声のあとはみな無言。静かな静かな花火大会でした。

スコップ団の活動を通じて、精一杯生きなければ、と思うようになりました。
冷蔵庫の中に、食べられなかったバースデーケーキもありました。

スコップ冷蔵庫

誰もその日死ぬとは思わずにいたのです。
急に命を絶たれた人の分まで生きなければ。

震災以降、紅葉を見たら、あぁ亡くなった方は紅葉を見たかっただろうな、クリスマスの時期には、クリスマスを迎えたかっただろうな、と思うようになりました。
芋煮会とかね、震災前は準備が面倒で嫌いだったんです。
でも、やるようになりました。「できるからやるんだ」と思いました。
命って本当に、いつ終わるか分からないんです。
今を大事にしてほしい、ということを、みんなに伝えたいんです。

~後編に続きます~

home_311さぽーとほっと助成事業
2013年7月11日に開催された『311・語り場』は、札幌市「さぽーとほっと基金」の助成を受けて行われました。皆様の貴重なご寄付を遣わせていただき、本当にありがとうございました。

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