キャプテンの森田です。
元・双葉町町長の井戸川克隆さんの講演会。
すごい・・・すごい話が満載でした・・・
(井戸川克隆さん講演会・関連記事はこちら)
当日はたくさんのチーム☆OKの仲間が来てくれました。皆さんありがとう~~!!
もぅいろいろと深い話がありすぎて。。。
メモをもとに、印象的だったお話を書きますね。
私はとっても感動しました。
こんなにまっすぐに、真っ当なことを言ってくれる方が、首長でいたんですね!!
「みんながこうだったら・・・もっと被ばくは減っていたんだろうなぁ・・・」
思わず、ためいきとともにそうつぶやきました。
*****
(講演会で)
「私たちには、放射能をおしつけられるいわれは無い」
「住民には、放射能を浴びる理由は全く無い」
「『自主』避難というのはやめよう。『必要に迫られた避難』と言おう」
「言葉は生きるための武器。しっかり言うことが大事」
「被ばく限度は自分で決めていいもの」
「避難に胸を張って。自分で被ばく限度を決めて、自分で避難したと言っていい」
「なんで福島の人間は、こんな目にあっても怒らないのか・・・」
「被ばくは老化が進む。埼玉に避難しなかった年寄りは、半年会わないだけでずいぶん元気がなくなった。ブラブラ病だろうか?埼玉に避難した人はそうではなかった。」
「何よりも悪いのは経産省。東電が勝手に判断することは無い」
「極悪人は菅首相と佐藤雄平県政。絶対に許さない」
「菅直人は許せない。国民を守らなかった人間」
「福島県はあんなところに人を住まわせて、犯罪史上に残る犯罪を犯している。犯罪史上に残さないといけない」
「私の娘が、福島を見に行きたいと言ったが、行かせなかった。福島県には行かせない」
「首長に会いに行けばいい。話をしてほしいと言う。首長にそれを断ることはできない。言ったことは紙に書いて、その場でサインをもらう。忙しくて会えないというなら、その言葉を紙に書いてサインをしてもらう。会って、泣き落とせばいい。」

「ヨウ素剤。双葉町は、私の判断で飲ませた。正式な指示は無かったが、あとで怒られればいいと思った。他の自治体もヨウ素剤は持っていた。持っていたけど飲ませなかっただけ。いまのところ双葉では子供の甲状腺がんは出ていない」
「放射能の味を感じる人がいる。南相馬に避難とき、数人が『金属の味がする』と言っていた。」
「防災計画はいざとなったらそれどころじゃなかった。計画では、対応を考える会議を、国や東電に加え市町村が入って行うことになっていたが、事故後一度も市町村は呼ばれなかった」
「佐藤雄平知事とは、埼玉に避難してから会談したことがある。私に(双葉町を)『福島に帰してほしい』と言った。私は『できない』と言った」

*****
(懇親会で)
「私はいまも毎日、鼻血が出ています」
「いざというとき、行政は助けない。自分で決めて自分で逃げないといけない」
「ゆきすぎた依存体質が問題」
「政治を変えればいいんだ。本気で政治を変えれば」
「国は首長の言うことは聞きますよ。実感として。
国がああいうからしょうがない、って国のせいにして、猫かぶってる首長もいるけどね」「今回の対応が、前例になる。世界の原発をもつ土地の人のために、悪い前例を残しちゃいけない」
「言葉は武器。カーネギーの『人を動かす』という本がおすすめ」

***
(個人的会話で)
「私は全部記録してますよ。日記だけじゃなくて、汚染されたモノも、日時を書いて保管してあります」
「群馬県の方も原発事故の被害者ですから。頑張ってください」

*****
チェルノブイリへのかけはしの皆さん。貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました!
これをお読みになった皆さん。
ぜひ、ぜひ、周りの方に、この事実を伝えていってくださいね。
どうぞよろしくお願いします!
(キャプテン・森田千恵・群馬県から原発避難)
井戸川克隆さん講演会・関連記事はこちら。
講演会の感想、報告は「その4」まで続きますよ~!お楽しみに♪