福島県から避難のメンバー、美保子さんから感想が届きました!
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みなさまこんにちは!美保子さんです。
先日の井戸川町長さんのお話会ではお世話になりました。
ありがとね~♪
チーム☆OK主催ではない講演会だったのに(チェルノブイリへのかけはし主催でした)
たくさんのOKのみんなに会えてビックリでした。
そっかーみんな来てたのか~。

でもね、予想以上に他の方が少なくてこれもビックリでした。
やっぱり札幌市で原発事故って過去のことなんだろうなぁとしみじみ、、、。
少し前に宍戸隆子さん(福島県伊達市から避難)と小児甲状腺がんの話をした時に
「意外に原発周辺の町村から甲状腺がんのお子さんが出てないね」
と言う話になり、安定ヨウ素剤を服用したのかもしれないという話をしました。

今回、双葉町は町長さんがヨウ素剤を服用させたということがわかりました。
井戸川さんはたくさんの若い人たちを救いました。ありがたいですね。
でも地元の評価が低く、私たちもイライラしてましたよ。
なぜなら地元では「汚染された」ことを認めたがりません。
「被曝した」ことも認めたがりません。
だから井戸川さんのようにハッキリ言われると腹が立つのだと思います。

井戸川さんのおっしゃることは全て正論です。
私も全く同じように思い動いて来ました。
でも、そもそも汚染をなかったことにしたい人たちとは、とても同じ言語で話してるとは思えないくらい言葉が通じないのです。
127人の小児甲状腺がん患者についても、多いのか?少ないのか?さえ考えることができません。
取りあえず今、自分の子供ががんに罹っていなければそれで良いというように私には見えています。
金属の味は私も感じました。
言葉では表現できないけど「空気に金属を感じる」って感じ?
目に異物感がありました。
夫はのどに異物感を感じてました。
やはり被曝ということをもう一度頭に入れなおす必要があるなぁと思いました。

で、初めの映像はちょっと辛かったね。
何が?って避難所での「福島県民の歌」を久しぶりに聞いて
あのふぐすま県は戻らないと改めて思ったらちょっと切なくなりました。
そして、変な言い方するけど、
原発事故後の福島県を徹底的に嫌いにならないと
私は北海道江別市民として暮らして行けないと思うので
本意ではないけど今は大嫌いです。キッパリ
3.11以降色んなことが狂って来た。
その中で井戸川さんのピュアなところはスバらしいです。
でも、あの生き方は辛く切ないだろうなぁと心情を慮っています。

「武器は言葉」これ、ずっと私が言い続けてることだよね。
でも、最近ちょっと忘れてたから反省してます(笑)
昨日は夫と二人で「札幌の町をオープンカーで飛ばそうぜ!(笑)」
と出かけて行ったので、帰り道話をしました。
「井戸川さんの負け戦の話だったな。切ねぇなぁ。俺、知事選に一票入れたのに。あれだけしか集まってないんだものホントに俺たちの負けだな」
「じゃ、誰が勝ったの?福島に残ってる人?東電?県?国?」
・・・・・・・・
誰も勝者はいないな。
みんながそれぞれに傷を負った。
原発事故っちゃそういうもんだ。
という結論に達し、札幌の風を感じながら家に帰った訳です。

何しろ北海道の生活が楽しすぎて色々忘れてる私と
未だ福島に残り中途半端に生活している夫はちょっと違って来てます。
夫は未だに原発事故、放射能、に縛られて暮らしていて。
ホントごめん!私はスッキリ!みたいになっていて(性格もあるかな?)ちょっと痛々しい夫。
井戸川さんはライフワークとしてあの事故の真実を伝えることを選び
苦しい中で伝えているんだと思います。
私たちがするべきことは
まずは今の生活先に溶け込んで普通に暮らすこと
次にその中で伝える努力をすること
だと思いました。
今日のお客様が、店頭に設置した「パパにあいたいプロジェクト」の募金箱にお金を入れてくれました。
こうやって少しずつ思いを伝えていくことを私はやっていきます。
「結局同じ人が集まって思いを共有する会」になってしまうことを私たち夫婦は危惧しています。
広がりがないとダメなんだろうなぁ、、
何をどうしたらいいのかがわからないので、ハイボールで乾杯!ってなっちゃう夫婦な訳よ(笑)
これから色々考えてみます。
長文でごめん!それと最後までいれなくてごめん!
途中で脱走してごめん!
色々ごめん!(笑)
(メンバー・美保子・福島県から原発避難)
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