我が家は私が長女、夫も長男で、地元から出たことがありませんでした。
私の実家は車で10分の距離でした。

息子は初孫だったので、じーちゃんが「目の中に入れて」、可愛がっていました。
中学高校の野球の試合も、私とじーちゃんでいつも応援に行きました。
1年前の春、仙台港からのフェリーで見送られた時、私は泣きませんでした。
今年の春、じじばばが札幌に来てくれた時も、泣かなかった。
泣いてしまったら、私は母子避難でここに居られないから。
札幌に来たばかりの時に、母の後ろ姿そっくりのおばちゃんが道を歩いていて、運転しながら泣いてしまいました。
電車で父に似ているお爺さんがいると、じっと見してしまいます。
今、泣きながらこれを打っています。
じじばばと孫たちを、もう会わせてあげる事が出来ないのではないかと考えると、つらいです。
私は子どもを、放射能汚染がある仙台に行かせる気は、全く無いから・・・
つらいですね。みんな、ね。。。
(さくら・宮城県仙台市から原発避難)